2014年3月27日木曜日

京大受験 ~二次試験直前~

直前というか、センター後。

センター翌日に学校で得点集計が有った。みな国語ができていなかった。総合9割越えが他に殆ど居なかったので、 やはり難しかったのだろう。

700点台前半の点数で教員に励まされている同級生が多かった。しかし彼らの中で東大に受かったのが結構いるので、得点比率からしても、今年の難易度からしても、逆転可能な点数なのだろう。

センターリサーチ等が帰ってきたが、全てA判だった。京大文学部は東大に比べればセンターが重いので、 ここで9割を超えると大きなアドバンテージになる。これで気が楽になった。

この期間も、数日Z会に行ったほかは学校に6時に着いて夕方まで残る生活を続けていた。ただ、センター前とは違って学校の講習やら添削もあったので、人と話す時間が増えた気はする。誰とも合わずに1か月間勉強するのは辛いものがあるのではないか。まあ、同級生と会ったことで数時間遊び始めた日も有ったとはいえ。

例の大雪もこの期間であった。最初の大雪の日は、午後から雪ということでカメラを持って登校した。すると昼で学校を追い出されたので、そこら中を撮影しながらゆっくり帰った。足が痛くなった。

次の大雪は、朝から学校が休校だった。しかし教室に勉強道具を置いている身なので無理やり登校して回収した。また足が痛くなった。

試験1週間前くらいになると、数学の予想問題集を解き始めた。すると60点くらいなら取れそうな気がしてきた。元々は45点取れば受かる、という話だったので心強い。

しかし、ここに来て勉強のモチベーションが下がる。ゲームに逃げるとか寝るというわけではなく、京大のシラバスや京都の町についてググっていて時間を消費していた。これで意識は高まったが、勉強時間は減った。

直前は、もはややることが無くなった気がしたので、良い形で終われたと思う。

京大受験 ~センター当日~

前日の帰り際にセーラームーンの聖地である神社に必勝祈願した。当日は無駄に早く出発したせいで時間が余り、またも前述の神社に寄った。

受験会場は東大本郷であった。入口前で教員に会い、門を入ると知り合いの集団がいて、艦これと桜trickの話をされた。桜trickとは京大でも遭遇することになる。

直前期に、センターは知識不足で失敗することはありえず精神戦だ、という結論に至った。行きの電車は音楽を聴いていて、東大に着いたらば教員と同級生に有ったので良いスタートだったと思う。

私が飛ばされた医学部の講堂は、社会1科目をはじめマイナーな受け方をする受験生を寄せ集めたものだった。そのため同室に知り合いはゼロ。普通の科目で受けると周りは同級生だらけだそうだが、知り合いがいない方が個人的には好みである。

会場は非常に古い建物で、椅子は取り付けられているプレートからして戦前の物だった。高校生は見慣れない急な階段教室、かつ外と同じ服装になるほど寒いので、緊張する人はかなりすると思う。

試験官は真面目な表情を崩さないので厳しいのかと思いきや、鞄を通路に放置しても何も言わないし、消しゴムのカバーも外さずに使えた。(京大は両方禁止)

緊張したくないので、長い待ち時間にずっと作り笑いしていた。すると途中から面白くなってきたので緊張を回避した。これは有効。

・地理
精神戦なので初めの科目の出来は重要。地理は趣味と被っているので、流石に得意。30分で解き終わって満点を確信した。(実際は満点ではない…)

・国語
いつも15分以内でほぼ満点の漢文から…あれ即答問題が少ない…えっ
古文は得意だぞ…ん?話の内容が掴めない…えっ
おや…古 典 の 一 周 目 で 4 0 分 使 っ た ぞ…
これはやばい現代文は瞬殺しなければ…意外と行けるね
残りで古典の見直し…分からんね…
あっ…時間…

140点くらいかもしれない、と怯えながらも、自分ができないなら平均は凄く低いはず、という自信はあったので持ちこたえる。

・英語
本当に普通だった。

こうして1日目は終わった。国語で爆死したのではないか、と思いつつも140点は切らないだろうし平均が低いはず、と考えた。夜は地学の見直し。

そして2日目へ。
・地学
は?…いや時間かければ出来そう…ああ出来たか
確かに難しかったが、1周目に40分かけるスローペースなら解けた。

・数学①
1Aは去年より簡単になるだろうし、そもそも簡単なはず、ということで気楽に解こうと思った。
あぁこれはできる…図形が分からん、飛ばそう…時間余裕だから図形やろう…よし分かった

40分と少しで完答した。

・数学②
1Aが満点だから確実に80点取りに行こう…あっ三角関数が消えたぞ、これは勝ったか…微積の計算複雑だから最後一つ捨てよう…他はギリギリ全部できたな

時間が厳しかったので微積の最後を捨てた。


そして帰宅、自己採点。

英語:184+46
数学:100+96
国語:88+38+30
地理:94
地学:96
合計:229/250(91.6%)

国語は170点が目標だったが、今年は難しかった。とはいえ、150点台に踏みとどまった。意地。

数学は直前に解いた過去問を少し上回った。試験中は興奮状態だったと思う。

他の科目は予想通り。

9割越えたのでセンターリサーチを待たずに京大文学部出願へ。

京大受験 ~センター直前~

正月からはセンター対策に絞った。京大文系受験者は漢文・社会1科目・リスニング・理科1科目をセンターでしか使わないので、それの対策は二次試験対策とは完全に別物である。

数学以外は早くに見通しがついたが、数学は本番1週間前くらいまでできる気がしなかった。だが問題の数をこなしているうちに点数が上がっていき、直前は9割取れそうな気がしていた。

3学期が始まり、我が校の高3は自由登校なのだが、私は朝6時から夕方まで学校に居た。家にいると冬休みのように7時間以上寝ているだろうから。教室にはほかに誰も来なかったので、開放感に満ちていた。

学校でセンターパックを解くイベントが有ったので参加した。一人で家で解いても同じ、と思うかもしれないが、本番に近い雰囲気でやるほうが良いと思う。

直前期はひたすらに過去問や予想問題集を解くのみだった。一応、毎日全科目最低一年分をこなしていた。(地理と地学は2年)これで良かったのかどうか。

2014年3月26日水曜日

京大受験 ~高3秋から年末~

高3の2学期になると受験が近くなっているのを感じる。「一浪して明○大行ってろ!」などという笑えない冗談も言われなくなった。

2学期は長かったのに、あまり記憶がない。イベントとしては学年行事位しかなかったからだろう。

私は学年行事で省庁見学コースを企画した。防衛省見学、農水省食堂で食事、法務省、外務省見学というベタなものだった。しかし久しぶりのイベントということで私のみならず結構みな楽しんでいた気がする。

秋の大学別模試や最後の校内模試が帰ってくる頃になると、受験モードがもう一段階上がったように思う。そろそろ逆転が難しくなってくるのだ。

12月からは時間管理に苦しんだ。何故かエネルギーが湧いてこなくなり、最低7時間は寝ていた。二次試験については余裕があったといえば有ったが、センターが不得意であったにもかかわらず。


センター対策は、12月の頭からやり始め、半ばから比重を上げていき、正月からは完全にセンターに絞った。

京大受験 ~高3春から夏~

我が校は春に文化祭がある。この年は4月末であった。

例の歴史研究部的サークルの展示は毎年高3が手伝いに入るし、壁新聞の展示は私が企画しないといけない雰囲気であった。そのため、高3ながら全力で文化祭に参加することに。

そう決めると、今までの勉強中心の生活は揺らいで、4月の頭から例のサークルを手伝ったり、新聞のパンフレットを後輩に投げずに自作したりと、かつての生活に半分戻っていた。それでも早朝は必ず勉強していたし、夜も基本は勉強していたので、周りにおいて行かれることは無かったと思う。

文化祭3日前からは準備のため塾に行かなくなり、勉強時間は0に戻った。当日も3日間ずっと展示に居て、片づけも参加した。さらに文化祭で風邪をもらい、結局ゴールデンウィーク終了までほとんど勉強しなかった。

ゴールデンウィーク明けに校内模試が帰ってきたが、数学で知っている問題が出た上に国語が1位だったので文系3位であった。この辺りから、余裕を持って勉強できるようになる。

また駿台模試でも数学が大爆死しながら、国語と世界史で逃げ切りB判は確保した。英語は京大対策ばかりしていたせいで、和訳・英訳以外が伸びていなかった。

高3になって、学校の授業は内容も自分の受け方も変わったと思う。現代文は毎回演習と解説になったし、数学の予復習なんて中1以来初めてした。また、不要にしか思えない授業は切る人が増えた。一限の英語など定刻に9人しかいなかったこともある。 確かに、何も考えずに出席するのではなく、自分で有意義と思うコトをするのも有りだとは思う。例えば朝の都心をサイクリング、とか。誰がそんなことをしていたのかは聞いてはいけない。

高3の夏休みも特別なことはなく、ただただ持ち時間を勉強に費やすだけである。7時に起きて1時に寝ていた。やはり、一番つらいのはがり勉ではなく、部活などとの両立であろう。

夏には京大模試を2つ受けて、A判上位とB判上位だった。数学は共に爆死して偏差値40台であったが、他の科目は十分太刀打ちできると思った。

夏休みもオフを1日だけ作った。赤坂の迎賓館の内部参観に申し込んで当たったのである。詳細はここを参照。

京大受験 ~高2冬から春~

冬休みは1日だけオフとして白馬に行ったほかは、Z会で英数国の講習に行き、12時間くらい勉強していたと思う。京大に行く計画は体調が悪すぎて流れた。

高2の3学期になると、ようやくクラスも受験の雰囲気が出てくる。ただ、未だに芸術や化学など受験に関係ない科目をのんびり履修していたのだが。

センターを全科目解いて見ろ、とZ会で言われたので、全く勉強していない古文・漢文を大急ぎで詰め込んだ。Z会出版の「スピード攻略10日間」というもの。

そしてセンターを受けた。点数は曖昧な記憶による。
英語:筆記176、Lis40くらい
数学:61+64
国語:140
地理:75くらい
世界史:55くらい
地学:50くらい
合計 630点/900点

数学で10点、国語で8点マークミスした。数学が悲惨だが、合計点では京大合格者の高2時成績の平均を越えたので希望が見えた。

また、校内模試が有った。英語は若干伸びた。数学は安定の低得点。しかし国語がかつての輝きを取り戻し、順位が140位から50位まで上がり、我が校の現役東大合格ボーダーラインの順位に到達。

高2の3学期は、例の歴史研究部的サークルには滅多にいかなくなった。生徒会室には結構行っていたが、勉強中心の生活に移行していたと思う。

なお、上の校内模試のの日に6時登校したら成績が良かったことを契機に、それ以後も6時に学校について勉強することにした。夜11時を過ぎると勉強できなくなることに気付いていたのである。

この時期まで来ると、持っている時間を全て勉強に費やしていればよいので、楽になったと言えば楽になった。

この調子で春休みもひたすら勉強していく、

京大受験 ~高2・2学期まで~

・小学校まで
人より文字を覚えるのが早かったと言われる。幼稚園でも小学校でも本を読んでばかりだった気がする。だから身体能力が低いのか、それとも身体能力が低いから引き籠って本を読んだのか。。。

中学受験するにあたって、読書のおかげで国語・社会・理科で大きなアドバンテージを得ていた。そのため、算数を捨てたものの少なめの勉強量ながら、2月1日に受けた愛育病院のそばの中学に合格してしまった。

さらに2月2日に栄光学園を受けたが、算数が一か所以外白紙ながら合格してしまった。他教科が全て最高点であれば、合格最低点を辛うじて越えるので、そういうことなのだろう。この入試結果で調子に乗り、後で苦しむこととなる。

 ・中学校
4月の頭から歴史研究部的サークルに入った。この中学は親に受験させられたので(嫌だったわけではない)当然このサークルについても知らなかったが、小学生時代の趣味から当然の成り行きとして入部した。このサークルには高3まで出入りすることとなる。
ちなみに某運動部にも一時期居たのだが、やはり自分は文化部の住人だと感じて行かなくなった。

中1の時は友人の間に勉強する風潮が無く、成績が良い人が多くもなかったので、趣味と被る国語と社会しかできなかった。

中2になると成績の良い友人が増え、自分の成績がとんでもなく悪いと思えて勉強するようになった。多くの科目は少し勉強したらできるようになったのだが、数学はそうもいかず。赤点すれすれで進級した。数学だけはやっても上位に入れないのでやる気が起きなかった。

・高校
高1になると英語の教科書が変わり、本当にモチベーションが下がった。また文化祭が震災の影響で6月末に行なわれ、その後期末試験までは短期間しかなかった。そのため、この期末試験に初めて全教科一夜漬けで臨んだところ、まずまずの成績が取れてしまった。さらに、例のサークルの会計職や校内新聞の編集担当になったことで、勉強を捨ててそちらに注力し始めた。

高2になると明らかに成績が悪くなってきたが、それは見なかったことにして部活・生徒自治・旅行ばかりしていた。同輩、そして後輩からも「今日は塾なので活動に行きません」と連絡をうけながら。

高2の夏は一応Z会の夏期講習に行ったし、その期間はきちんと勉強していた。しかし、その他の期間は部活や旅行に費やした。高2の夏から本気で勉強する、と多くの人が言っていたが、何割が実行できたことやら。
ちなみに、この頃、京大文学部を受けようと思った。

2学期から週2回、英語と数学でZ会に行きだした。だが、例のサークル・新聞・生徒会・修学旅行委員を掛け持ちし勉強より優先していたので、勉強は塾の予復習のみ。結果、駿台全国模試は京大D判であった。(A~Dの4段階評価)だから、浪人覚悟で2学期は遊び切ろうと思った。

2学期末に新聞の最終号を作り、終業式直前に例のサークルで400ページの本を完成させたら、本当にやることが無くなった。エネルギーだけはあるのに、である。そして、それを受験勉強に向けることができたので、結果的には良いスタートを切れたと思う。