2014年3月27日木曜日

麻布学園普通教室棟に関する一考察

 高3の夏休みに1日で書いた原稿をコピペ。まともに調査していないのでクオリティはお察しください~。

 私は(自称)建築趣味者なので、そこそこ見学にも行ったし文献を読んだとも思う。その結果としてこの考えに至った。「我らの校舎にもう少し目を向けるべきなのではないか?」私としては、麻布学園教室棟は類まれな価値を持っていると思っている。しかし、生徒の間で話題にもならず、学校側もwebや説明会でアピールすることがない。100年史の建築分野も浅い調査と言わざるを得ない。このまま無関心が続き、老朽化による即時全面解体に至るのは非常にもったいないのではないか。深い興味は持たなくとも、その歴史を知ることは、麻布生としての誇りや卒業してからの母校愛などの獲得において大きな要素になるのではないか。本稿では、教室棟に特徴的な事物を幾らか紹介していく。ただ、残念ながら私には残された時間が少なかった。本稿では大まかにしか触れられないので、後代の人間が本格的に調査し発表することを期待している。

基本データ・鳥瞰図
 本稿では、教員室のある部分を除くコの字の教室棟について扱う。他の部分に関しては、少なくとも現在においては、歴史的な思い入れもないし、見るべき意匠もあるように思えなかった。
コの字の一辺は約60m。時計台(現在は校章が貼られているが)を頂点とする二辺は、1932年築の第一期校舎であり、残りの一辺が1937年築の第二期校舎である。全体として地上三階、地下一階の鉄筋コンクリート構造である。

建築当時の歴史的背景
 以前の校舎は木造であり、関東大震災をなんとか耐えている。しかし、老朽化や生徒数増加により改築されることとなった。昭和初頭というと関東大震災復興小学校が都内に一斉に建てられ終わった辺りの時代であり、本校舎もその影響を強く受けていると思われる(後述)。校舎建築の基金は1917年から作られており、震災などで中々集まらなかったが、江原素六の人望により三井や三菱から多額の寄付があったようだ。そこで1930年から日本が恐慌に陥った。学園はそれによる資材価格下落を利用し、その基金と在学生からの寄付などで建築に踏み切った。このようにして、第一期校舎は完成した。
 その後、さらに生徒が増加した為、1937年に第二期校舎が完成した。といっても、この増築は当初から計画されていたらしい。現在では狭いと言われる麻布学園だが、当時としては都内で数少ない施設とされていたようだ。(実際、広いと言われている学校は都心にないことが多い。狭さを嫌って郊外へ転出した私学も多い。)
こうして現在のコの字部分は完成した。その後については割愛する。

関東大震災復興小学校
 教室棟の構造は、関東大震災で全壊し(半分以上が全壊した)その後改築された東京市立小学校と多くの共通点を持つ、というより本稿で挙げる特徴は復興小学校の特徴ばかりなので、これを抜きにしては語れない。
 震災後、東京府は「復旧」ではなく「復興」を宣言した。これは従来の町を再構築するのではなく、新時代にふさわしい街を作っていくというものだ。学校建築の改革もこの枠組み内の出来事である。東京市が主導して行った小学校建築の際には階数から窓の高さまで様々な規格が設けられ(規格の全文はインターネットと近所の図書館では見つからなかった。国会図書館にでも行って欲しい。)、それに大体沿って工事が行われた。細かい数字は置いておいて、コンセプトは以下のような物だ。

・防災
 木造校舎の危険性は震災以前から言われていて、東京での新築は禁じられていた。復興小学校は全て、国内の小学校としては神戸などの一部の小学校にしか使われていなかった鉄筋コンクリートを採用した。さらに、耐震性を重視した結果、太い柱を多く入れることとなった。
また、教室から3分以内に屋外への避難ができるに設計され、行き止まりを作らないなど、階段・廊下の幅や配置に配慮が見られる。

・教育環境
 戦前の教育というと軍国教育や軍事教練ばかりしていたように言われるが、その多くは戦時体制の国民学校の話である。震災後においては、教育は児童の心理に配慮すべきという主張も強くされていたのだ。その結果、丸みを帯びたデザインや壁の塗装といったことから、水洗トイレ、ボイラー、さらにはシャワー室などの贅沢な設備が整えられた。(水洗トイレについては公衆衛生の推進という意味もあるが)
 また、採光が重視された。どの学校でも窓の面積が広くなり、換気口の作られたものもある。また、コの字型・ロの字型の校舎では廊下が外側に作られた。普通に考えれば、教室を外にした方が広い面積をとれるはずである。しかし、ここでも採光を優先し、教室を内側に入れたのだ。
 そして、天井は高い物となった。戦後の一般的な学校建築は高さ3m程度だが、復興小学校は3.5mと規格化されている、工費は上がるが、環境は改善される。

・敷地活用
 地方の古い小学校であると横長が多い。しかし、東京でそんな用地は取れなかったため、コの字型やロの字型が採用された。その内には校庭を入れたのである。(麻布の狭い中庭を想像しないで欲しい。「校庭」である。)

・復興小学校の今
 120校近く建設されたが、現存するのは定義によるが10校程度である。老朽化や近隣のマンション開発による教室不足により特に近年解体が進んでいて、現在も九段小学校が解体の方向に動いている。

教室棟の特徴
 ようやく本題である。前章を見ても、教室棟が当てはまる復興小学校の特徴が多々あると分かったであろう。ここでは、それらを中心に具体的な構造や意匠について紹介する。
なお、「復興小学校と類似するというが単に当時の一般的な建築ではないのか」という指摘をされそうなので、返答しておく。復興小学校は東京を新時代の都市とするためになされた革新的改革の一部であり、震災直前の東京の小学校とも、同時代の農村の小学校とも一線を画するモダニズム建築である。そのため、復興小学校との類似というのは特異性として語れるだろう。

・外面
 時計台部分を除けば、シンプルな構造である。塗装も白一色である。これは手抜きではなく、後期の復興小学校にも多くみられるモダニズムの流れを受けた物だろう。窓枠がアルミサッシ化されているため、現在では創建当時より地味に見えていると思う。
だが、時計台部分は内部に中央階段を配置した為に膨らみ、類を見ない独特の構造となっている。また、窓面積率が高いのも特徴である。
また、理由は不明だが、第一期校舎と第二期校舎では中庭側の柱の太さが異なる。教室間に位置する柱のみ、他の2倍になっているのだ。

・内部基本構造
 最大の特徴は中央階段である。これは、その広い幅と踊り場、そしてグランドへ抜ける位置という事からして避難用と考えられる。ただ、復興小学校の規格では、階段は更に広いものとされている。

・天井
 廊下で3.35m、中央階段のみ3.6mであった。3.5mという復興小学校の規格と同様、高くとられている。現在では貼り天井が多いが、復興小学校も教室棟も素のままである。

・廊下
 幅については、復興小学校の規格の2.7mに対して2.35mしか取られていなかった。用地の問題だろうか。ただ、復興小学校の場合は廊下にロッカーなどが置かれることが想定されていたようなので、実際は同程度だったのかもしれない。
また、理由は不明だが、第二期校舎においては柱の廊下に飛び出る幅が大きい。

・廊下外側の窓
 理由は不明だが、第二期校舎においては高さが低く、中庭側と同じ75cmである。対して、第一期校舎では中庭側より高く100cmである

・柱
 麻布は柱が多い、というくらいなら校内で常識になっている。教室内の柱の幅は54cm、柱の間隔は255cmであった。復興小学校の柱の間隔である280cmというのが柱の幅を含むのか分からないし、教室内とその他の場所で同じ幅だったのかもわからないが、ほぼ同じではある。当然ながら、同時代の一般建築や現在の建築ではここまで多くない。

・教室
 中庭側の窓の高さは75cm。また、窓が天井の柱の高さまでいっぱいに取られている。両方、復興小学校と共通することだ。
また、第一期校舎においては、廊下との仕切りとなる壁の中央上部に換気口が付いている。これは復興小学校にも見られたもので、感染症予防だったとされる。

・細部の意匠
 柱と天井の接合部に、モールディングと呼ばれる漆喰の細工がなされている。この種の細工は古い洋館などでは見られるが、何の実用的価値もないため、現在の一般的な建築では廃れている。
また、窓枠は階段状(?)のものが多く使われている。これは西洋建築の一般的な手法だと聞いたことがある。一部の教室では何の細工もない木材であるが、それらは元々大教室であったものを潰して普通教室に改装した為だと思われる。

まとめ
 麻布学園普通教室棟は、関東大震災後という時代背景に基づいた、防災思想と新教育思想の読み取れる貴重な物件であるとともに、戦後の建築では一般的でない構造や意匠が見られる。これは麻布学園の初期といって良い時代から現在までを記録している建築であるので、可能な限り現状維持とあってほしいが、数十年後には改築が避けられないだろう。その時に、時計台部分の外観のみ保存または復元され、その他の重要な特徴が見向きもされず消え、「コスパ」のみを重視した味気ない姿となるのは惜しいことである。現在の校舎に込められた思想を守りとおさずとも、せめて、この校舎には深い思想が込められていることを理解し、建築後に評価される新時代の思想を込めた改築としてほしい。

参考文献
関東大震災と「復興小学校」: 学校建築にみる新教育思想
明石小学校の建築
港区の学校建築―震災と復興
麻布学園100年史
各種webサイト(メモするの忘れた)

京大受験 ~世界史~

やり通した問題集・参考書・塾の講座を並べておきます。

ちなみに京大模試は
夏:河合71点、駿台65点←恐らく採点ミス
秋:河合73点(65.6)、駿台約90点(約70)←冊子掲載

・高2 3学期
Z会通信国公立世界史
教科書(東京書籍、山川出版)
詳説世界史学習ノート

・高2 春休み~高3 夏休み
Z会通信国公立世界史 
教科書(東京書籍、山川出版)
詳説世界史学習ノート
世界史100題
世界史B用語・問題2000

・高3 2学期~冬休み
Z会通信京大世界史 

教科書(東京書籍、山川出版)
詳説世界史学習ノート

世界史100題
世界史B用語・問題2000

・高3 3学期
Z会通信国公立世界史 

教科書(東京書籍、山川出版)
詳説世界史学習ノート

世界史100題
世界史B用語・問題2000
京大過去問(論述)

京大受験 ~国語~

やり通した問題集・参考書・塾の講座を並べておきます。

ちなみに
京大模試は
夏:河合79点(70.2)、駿台65点(57.7)
秋:河合86点(62.5)、駿台64点(55.3)
センターは
88+38+30=156点

・高2 冬休み
Z会L2J(現古漢)

・高2 3学期
Z会L2J
スピード攻略10日間古文基礎・演習
スピード攻略10日間漢文
古典文法トレーニング
古文上達
重要古文単語315

・高2 春休み
Z会E3T(現古)
古文上達
重要古文単語315

・高3 1学期
Z会E3T(現古)
ちくま評論選(学校授業用)
古文上達
重要古文単語315
センター過去問(漢文、学校授業用)
東大過去問(漢文、学校授業用)

・高3 夏休み
Z会E3T(現古)
現代文と格闘する
得点奪取古文
重要古文単語315
マーク式基礎問題集漢文

・高3 2学期
Z会E3T(現古)
東大過去問(現代文、学校授業用)
現代文と格闘する
得点奪取古文
ライジング古文
重要古文単語315
読み解き古文単語
マーク式基礎問題集漢文
センター過去問(漢文、学校授業用)
東大過去問 (漢文、学校授業用)

・高3 冬休み
駿台京大現代文
センター現代文解法の新技術
ライジング古文
重要古文単語315
読み解き古文単語
短期攻略古文
短期攻略漢文
センター過去問

・高3 3学期
Z会LKB(現古)
京大過去問(現代文、学校授業用)
センター過去問
京大過去問(古文)
入試攻略問題集(古文)
実戦問題集 (古文)
読み解き古文単語
センター漢文解法マニュアル

京大受験 ~数学~

やりとおした問題集・参考書・塾の講座などを並べていきます。学校の授業を除く。

ちなみに
京大模試は
夏:河合23点(43.4)、駿台41点(46.8)
秋:河合51点(50.6)、駿台87点(59.6)
センターは
100+96=196点

・高2夏
Z会M2A(1A2B)

・高2 二学期
Z会M2A


・高2 冬休み
Z会M2A

・高2 3学期
Z会M2A
チェック&リピート1A
チェック&リピート2B

・高2 春休み
Z会M3B(1A2B)
チェック&リピート2B

・高3 1学期
Z会M3B
チェック&リピート1A
チェック&リピート2B
標準問題精講1A
標準問題精講2B

・高3 夏休み
Z会M3B
標準問題精講2B
文系数学のプラチカ
京大の数学25カ年
黒本(センター過去問)

・高3 2学期
Z会M3B
文系数学のプラチカ
京大の数学25カ年

・高3 冬休み
Z会M3B
文系数学のプラチカ
京大の数学25カ年
マーク式総合問題集(センター)

黒本

・高3 3学期
駿台京大文系数学プレ
京大の数学25カ年
実戦問題集(京都大学)
入試攻略問題集(京都大学)
センター試験必勝マニュアル
実戦問題集(センター)
黒本

京大受験 ~英語~

やり通した問題集・参考書・塾の講座を並べておきます。 学校の授業を除く。

ちなみに
京大模試は
夏:河合100点 駿台90点
秋:河合86点、駿台96点
センターは
184+36点


・中学
Birdlandの傍用問題集

・高2 夏
Z会E2M(和訳)
Z会E2GX(文法・語法・作文)
システム英単語

・高2 2学期
Z会E2M
Z会E2GX
Vintage(文法・語法)
英作文ハイパートレーニング
システム英単語
Duo3.0

・高2 冬休み
Z会E2M
Z会E2GX
英作文ハイパートレーニング
システム英単語
Duo3.0
 
・高2 3学期
Z会E2M
Z会E2GX
英作文ハイパートレーニング
システム英単語
Duo3.0

・高2 春休み
Z会E3T(和訳・読解)
Z会E3MB(文法・語法)
英文解釈の技術100
英作文のトレーニング実戦編
システム英単語
Duo3.0

・高3 1学期
Z会E3T
Z会E3MB
英文読解の透視図
京大の英語25カ年
英作文のトレーニング実戦編
システム英単語
Duo3.0

・高3 夏休み
Z会E3T
京大の英語25カ年
ドラゴンイングリッシュ基本英文100
英作文のトレーニング実戦編
システム英単語
Duo3.0

・高3 2学期
Z会E3T
京大の英語25カ年
ドラゴンイングリッシュ基本英文100
英作文のトレーニング実戦編

システム英単語
Duo3.0

・高3 冬休み
Z会E3T
京大の英語25カ年
ドラゴンイングリッシュ基本英文100
英作文のトレーニング実戦編

システム英単語
Duo3.0

・高3 3学期
Z会EKB(和訳)
京大の英語25カ年
実戦問題集(京都大学)
入試攻略問題集(京都大学)
京大後期過去問(和訳)
ドラゴンイングリッシュ基本英文100
英作文のトレーニング実戦編
解決!センター英語リスニング
発音・アクセントの薄い問題集(名前失念)
システム英単語
Duo3.0

京大受験 ~二次試験直前~

直前というか、センター後。

センター翌日に学校で得点集計が有った。みな国語ができていなかった。総合9割越えが他に殆ど居なかったので、 やはり難しかったのだろう。

700点台前半の点数で教員に励まされている同級生が多かった。しかし彼らの中で東大に受かったのが結構いるので、得点比率からしても、今年の難易度からしても、逆転可能な点数なのだろう。

センターリサーチ等が帰ってきたが、全てA判だった。京大文学部は東大に比べればセンターが重いので、 ここで9割を超えると大きなアドバンテージになる。これで気が楽になった。

この期間も、数日Z会に行ったほかは学校に6時に着いて夕方まで残る生活を続けていた。ただ、センター前とは違って学校の講習やら添削もあったので、人と話す時間が増えた気はする。誰とも合わずに1か月間勉強するのは辛いものがあるのではないか。まあ、同級生と会ったことで数時間遊び始めた日も有ったとはいえ。

例の大雪もこの期間であった。最初の大雪の日は、午後から雪ということでカメラを持って登校した。すると昼で学校を追い出されたので、そこら中を撮影しながらゆっくり帰った。足が痛くなった。

次の大雪は、朝から学校が休校だった。しかし教室に勉強道具を置いている身なので無理やり登校して回収した。また足が痛くなった。

試験1週間前くらいになると、数学の予想問題集を解き始めた。すると60点くらいなら取れそうな気がしてきた。元々は45点取れば受かる、という話だったので心強い。

しかし、ここに来て勉強のモチベーションが下がる。ゲームに逃げるとか寝るというわけではなく、京大のシラバスや京都の町についてググっていて時間を消費していた。これで意識は高まったが、勉強時間は減った。

直前は、もはややることが無くなった気がしたので、良い形で終われたと思う。

京大受験 ~センター当日~

前日の帰り際にセーラームーンの聖地である神社に必勝祈願した。当日は無駄に早く出発したせいで時間が余り、またも前述の神社に寄った。

受験会場は東大本郷であった。入口前で教員に会い、門を入ると知り合いの集団がいて、艦これと桜trickの話をされた。桜trickとは京大でも遭遇することになる。

直前期に、センターは知識不足で失敗することはありえず精神戦だ、という結論に至った。行きの電車は音楽を聴いていて、東大に着いたらば教員と同級生に有ったので良いスタートだったと思う。

私が飛ばされた医学部の講堂は、社会1科目をはじめマイナーな受け方をする受験生を寄せ集めたものだった。そのため同室に知り合いはゼロ。普通の科目で受けると周りは同級生だらけだそうだが、知り合いがいない方が個人的には好みである。

会場は非常に古い建物で、椅子は取り付けられているプレートからして戦前の物だった。高校生は見慣れない急な階段教室、かつ外と同じ服装になるほど寒いので、緊張する人はかなりすると思う。

試験官は真面目な表情を崩さないので厳しいのかと思いきや、鞄を通路に放置しても何も言わないし、消しゴムのカバーも外さずに使えた。(京大は両方禁止)

緊張したくないので、長い待ち時間にずっと作り笑いしていた。すると途中から面白くなってきたので緊張を回避した。これは有効。

・地理
精神戦なので初めの科目の出来は重要。地理は趣味と被っているので、流石に得意。30分で解き終わって満点を確信した。(実際は満点ではない…)

・国語
いつも15分以内でほぼ満点の漢文から…あれ即答問題が少ない…えっ
古文は得意だぞ…ん?話の内容が掴めない…えっ
おや…古 典 の 一 周 目 で 4 0 分 使 っ た ぞ…
これはやばい現代文は瞬殺しなければ…意外と行けるね
残りで古典の見直し…分からんね…
あっ…時間…

140点くらいかもしれない、と怯えながらも、自分ができないなら平均は凄く低いはず、という自信はあったので持ちこたえる。

・英語
本当に普通だった。

こうして1日目は終わった。国語で爆死したのではないか、と思いつつも140点は切らないだろうし平均が低いはず、と考えた。夜は地学の見直し。

そして2日目へ。
・地学
は?…いや時間かければ出来そう…ああ出来たか
確かに難しかったが、1周目に40分かけるスローペースなら解けた。

・数学①
1Aは去年より簡単になるだろうし、そもそも簡単なはず、ということで気楽に解こうと思った。
あぁこれはできる…図形が分からん、飛ばそう…時間余裕だから図形やろう…よし分かった

40分と少しで完答した。

・数学②
1Aが満点だから確実に80点取りに行こう…あっ三角関数が消えたぞ、これは勝ったか…微積の計算複雑だから最後一つ捨てよう…他はギリギリ全部できたな

時間が厳しかったので微積の最後を捨てた。


そして帰宅、自己採点。

英語:184+46
数学:100+96
国語:88+38+30
地理:94
地学:96
合計:229/250(91.6%)

国語は170点が目標だったが、今年は難しかった。とはいえ、150点台に踏みとどまった。意地。

数学は直前に解いた過去問を少し上回った。試験中は興奮状態だったと思う。

他の科目は予想通り。

9割越えたのでセンターリサーチを待たずに京大文学部出願へ。

京大受験 ~センター直前~

正月からはセンター対策に絞った。京大文系受験者は漢文・社会1科目・リスニング・理科1科目をセンターでしか使わないので、それの対策は二次試験対策とは完全に別物である。

数学以外は早くに見通しがついたが、数学は本番1週間前くらいまでできる気がしなかった。だが問題の数をこなしているうちに点数が上がっていき、直前は9割取れそうな気がしていた。

3学期が始まり、我が校の高3は自由登校なのだが、私は朝6時から夕方まで学校に居た。家にいると冬休みのように7時間以上寝ているだろうから。教室にはほかに誰も来なかったので、開放感に満ちていた。

学校でセンターパックを解くイベントが有ったので参加した。一人で家で解いても同じ、と思うかもしれないが、本番に近い雰囲気でやるほうが良いと思う。

直前期はひたすらに過去問や予想問題集を解くのみだった。一応、毎日全科目最低一年分をこなしていた。(地理と地学は2年)これで良かったのかどうか。

2014年3月26日水曜日

京大受験 ~高3秋から年末~

高3の2学期になると受験が近くなっているのを感じる。「一浪して明○大行ってろ!」などという笑えない冗談も言われなくなった。

2学期は長かったのに、あまり記憶がない。イベントとしては学年行事位しかなかったからだろう。

私は学年行事で省庁見学コースを企画した。防衛省見学、農水省食堂で食事、法務省、外務省見学というベタなものだった。しかし久しぶりのイベントということで私のみならず結構みな楽しんでいた気がする。

秋の大学別模試や最後の校内模試が帰ってくる頃になると、受験モードがもう一段階上がったように思う。そろそろ逆転が難しくなってくるのだ。

12月からは時間管理に苦しんだ。何故かエネルギーが湧いてこなくなり、最低7時間は寝ていた。二次試験については余裕があったといえば有ったが、センターが不得意であったにもかかわらず。


センター対策は、12月の頭からやり始め、半ばから比重を上げていき、正月からは完全にセンターに絞った。

京大受験 ~高3春から夏~

我が校は春に文化祭がある。この年は4月末であった。

例の歴史研究部的サークルの展示は毎年高3が手伝いに入るし、壁新聞の展示は私が企画しないといけない雰囲気であった。そのため、高3ながら全力で文化祭に参加することに。

そう決めると、今までの勉強中心の生活は揺らいで、4月の頭から例のサークルを手伝ったり、新聞のパンフレットを後輩に投げずに自作したりと、かつての生活に半分戻っていた。それでも早朝は必ず勉強していたし、夜も基本は勉強していたので、周りにおいて行かれることは無かったと思う。

文化祭3日前からは準備のため塾に行かなくなり、勉強時間は0に戻った。当日も3日間ずっと展示に居て、片づけも参加した。さらに文化祭で風邪をもらい、結局ゴールデンウィーク終了までほとんど勉強しなかった。

ゴールデンウィーク明けに校内模試が帰ってきたが、数学で知っている問題が出た上に国語が1位だったので文系3位であった。この辺りから、余裕を持って勉強できるようになる。

また駿台模試でも数学が大爆死しながら、国語と世界史で逃げ切りB判は確保した。英語は京大対策ばかりしていたせいで、和訳・英訳以外が伸びていなかった。

高3になって、学校の授業は内容も自分の受け方も変わったと思う。現代文は毎回演習と解説になったし、数学の予復習なんて中1以来初めてした。また、不要にしか思えない授業は切る人が増えた。一限の英語など定刻に9人しかいなかったこともある。 確かに、何も考えずに出席するのではなく、自分で有意義と思うコトをするのも有りだとは思う。例えば朝の都心をサイクリング、とか。誰がそんなことをしていたのかは聞いてはいけない。

高3の夏休みも特別なことはなく、ただただ持ち時間を勉強に費やすだけである。7時に起きて1時に寝ていた。やはり、一番つらいのはがり勉ではなく、部活などとの両立であろう。

夏には京大模試を2つ受けて、A判上位とB判上位だった。数学は共に爆死して偏差値40台であったが、他の科目は十分太刀打ちできると思った。

夏休みもオフを1日だけ作った。赤坂の迎賓館の内部参観に申し込んで当たったのである。詳細はここを参照。

京大受験 ~高2冬から春~

冬休みは1日だけオフとして白馬に行ったほかは、Z会で英数国の講習に行き、12時間くらい勉強していたと思う。京大に行く計画は体調が悪すぎて流れた。

高2の3学期になると、ようやくクラスも受験の雰囲気が出てくる。ただ、未だに芸術や化学など受験に関係ない科目をのんびり履修していたのだが。

センターを全科目解いて見ろ、とZ会で言われたので、全く勉強していない古文・漢文を大急ぎで詰め込んだ。Z会出版の「スピード攻略10日間」というもの。

そしてセンターを受けた。点数は曖昧な記憶による。
英語:筆記176、Lis40くらい
数学:61+64
国語:140
地理:75くらい
世界史:55くらい
地学:50くらい
合計 630点/900点

数学で10点、国語で8点マークミスした。数学が悲惨だが、合計点では京大合格者の高2時成績の平均を越えたので希望が見えた。

また、校内模試が有った。英語は若干伸びた。数学は安定の低得点。しかし国語がかつての輝きを取り戻し、順位が140位から50位まで上がり、我が校の現役東大合格ボーダーラインの順位に到達。

高2の3学期は、例の歴史研究部的サークルには滅多にいかなくなった。生徒会室には結構行っていたが、勉強中心の生活に移行していたと思う。

なお、上の校内模試のの日に6時登校したら成績が良かったことを契機に、それ以後も6時に学校について勉強することにした。夜11時を過ぎると勉強できなくなることに気付いていたのである。

この時期まで来ると、持っている時間を全て勉強に費やしていればよいので、楽になったと言えば楽になった。

この調子で春休みもひたすら勉強していく、

京大受験 ~高2・2学期まで~

・小学校まで
人より文字を覚えるのが早かったと言われる。幼稚園でも小学校でも本を読んでばかりだった気がする。だから身体能力が低いのか、それとも身体能力が低いから引き籠って本を読んだのか。。。

中学受験するにあたって、読書のおかげで国語・社会・理科で大きなアドバンテージを得ていた。そのため、算数を捨てたものの少なめの勉強量ながら、2月1日に受けた愛育病院のそばの中学に合格してしまった。

さらに2月2日に栄光学園を受けたが、算数が一か所以外白紙ながら合格してしまった。他教科が全て最高点であれば、合格最低点を辛うじて越えるので、そういうことなのだろう。この入試結果で調子に乗り、後で苦しむこととなる。

 ・中学校
4月の頭から歴史研究部的サークルに入った。この中学は親に受験させられたので(嫌だったわけではない)当然このサークルについても知らなかったが、小学生時代の趣味から当然の成り行きとして入部した。このサークルには高3まで出入りすることとなる。
ちなみに某運動部にも一時期居たのだが、やはり自分は文化部の住人だと感じて行かなくなった。

中1の時は友人の間に勉強する風潮が無く、成績が良い人が多くもなかったので、趣味と被る国語と社会しかできなかった。

中2になると成績の良い友人が増え、自分の成績がとんでもなく悪いと思えて勉強するようになった。多くの科目は少し勉強したらできるようになったのだが、数学はそうもいかず。赤点すれすれで進級した。数学だけはやっても上位に入れないのでやる気が起きなかった。

・高校
高1になると英語の教科書が変わり、本当にモチベーションが下がった。また文化祭が震災の影響で6月末に行なわれ、その後期末試験までは短期間しかなかった。そのため、この期末試験に初めて全教科一夜漬けで臨んだところ、まずまずの成績が取れてしまった。さらに、例のサークルの会計職や校内新聞の編集担当になったことで、勉強を捨ててそちらに注力し始めた。

高2になると明らかに成績が悪くなってきたが、それは見なかったことにして部活・生徒自治・旅行ばかりしていた。同輩、そして後輩からも「今日は塾なので活動に行きません」と連絡をうけながら。

高2の夏は一応Z会の夏期講習に行ったし、その期間はきちんと勉強していた。しかし、その他の期間は部活や旅行に費やした。高2の夏から本気で勉強する、と多くの人が言っていたが、何割が実行できたことやら。
ちなみに、この頃、京大文学部を受けようと思った。

2学期から週2回、英語と数学でZ会に行きだした。だが、例のサークル・新聞・生徒会・修学旅行委員を掛け持ちし勉強より優先していたので、勉強は塾の予復習のみ。結果、駿台全国模試は京大D判であった。(A~Dの4段階評価)だから、浪人覚悟で2学期は遊び切ろうと思った。

2学期末に新聞の最終号を作り、終業式直前に例のサークルで400ページの本を完成させたら、本当にやることが無くなった。エネルギーだけはあるのに、である。そして、それを受験勉強に向けることができたので、結果的には良いスタートを切れたと思う。