5月5日に今宮祭に行ってきた。大学の課題で京都近辺の祭りの見学レポートを書かなければならないので。
神社の歴史はココを見ればわかるので割愛。
10時に神輿を拝殿から降ろすので、9時15分ごろに神社入り。
9時25分ごろに地元の男性達が集まってくる。 老いも若きも。しかし女性は子供を除いていない。
9時55分ごろに集合がかかり、参加者たちが本殿で礼拝。 この時間はあいにくの本降りの雨。神輿の側面を透明ビニールで覆ってから舞台から降ろした。降ろすときの掛け声が「ワッショイ」ではなく「エイサ」「ホイショー」「ヨーサー」などだった。「ワッショイ」の掛け声も後に氏子地域内を引き回すときには上がっていたが。
神輿を下すと、担ぎ手を増やすために更に長い棒に神輿を接続する。舞台に上げられているときの神輿は、担ぐための棒がかなり短い。
ちなみに、「担ぎ手」と書いたが、ここの神輿は担いで巡幸するのではない。基本的には台車に載せて綱で引っ張り、主要な交差点数か所で台車から降ろして少し動き回る。人が足りないらしい。まあ、トラックで巡幸する神社もかつてあったそうなので、人が居ないことはないのだろうが。
この接続に結構時間がかかり、11時に神輿が神社を出た。本降りの雨なので、鉾など神輿以外の巡幸は省略。残念。
私が着いて行った大宮神輿は神社から北東の地域を一周した。沿道にあまり人は居なかったと思う。
この巡幸は午後に比べれば短いもので、12時には神社へ帰着した。そこで担ぎ手の昼食休憩も取られた模様。
待機している神輿を女性観光客がベタベタ触っていた。すると地元の女性から「女の子は触らんといて」と注意。ここは女神輿を導入していないので、神輿は男の仕事。
12時40分に再度集合がかかり、今度は大規模な巡幸にかかる。 今宮通を西進して千本通を南下、北大路で東に入り旧大宮通まで。ここが大徳寺前。京都新聞の写真はここで撮られていた。
さらに旧大宮を南下し、低層木造家屋密集地域に入る。所謂西陣、織物業者が多い。しかし休日な上に神輿で騒がしいので織機の音は聞こえず。
普通車がすれ違えるかどうか怪しいような道を大きな神輿が進んでいく。標識にぶつかりそうになることもあり、難しそうな巡幸である。
ただ、こういう地域になると一家・親族・隣近所で集まって宴会をしながら神輿を待ち、神輿がやって来ると外に出てくる家も増えたように思う。
こうして千本寺之内に出た。寺之内通を西進し、 また小路を進んでいく。ここも織物業者が多い。神輿の休憩が長かったので静かな路地をさまよっていると、織物業の看板も出さない小さな日本家屋から織機の音が聞こえてくる。これが西陣織の制作現場なのだなぁ~と感動していた。教科書の一問一答的記憶が、こうして身体の記憶となっていく。
その後、千本通へ出て北上する。この辺りでは鉾を門前に飾る家がいくつかあった。町として鉾を所有している地域である。
千本通を東に入り、小路を抜け、大宮通を北大路の近くまで北上すると御旅所に到着する。御旅所とは仮設の物かと思いきや、日常的に神社の管理地であり建物もたっている。ここには雨の中屋台が立ち並び、賑わっている。無事神輿が台に乗せられたのを見届けて、さっさと帰った。文章だと軽い散歩に見えるかもしれないが、午前中1時間・午後4時間、普通の鞄とカメラバッグを担いで歩き回っているのだ。久しぶりに疲れた。
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