2014年5月10日土曜日

京都市立小学校建築探訪 旧開智小学校編

東京の「復興小学校」のデザインや歴史的背景が好きなので、今度は同時代の京都市立小学校の建築を見に行った。

※復興小学校:関東大震災後で東京の小学校の多くが校舎を失った後に、基本的には一定の規格に沿って作られた小学校。

まずは旧開智小学校。1935年の作。現在は学校歴史博物館に転用されている。展示内容は面白いのだが、あまり関係ないので省略。
正門前の道路。普通車のすれ違いは不可能なのでは。正門前がここまで狭いと混雑など色々大変そうだが、京都市中心部なので仕方ない。
正門。同時代の東京の小学校の正門は石柱の間に鉄製の門が付くのが多かった気がする(Ex.泰明小学校フランス門)が、これは和風。
校舎。車寄せと、その上のコンクリート打ちっぱなし部分は近年の設置。

教室の窓の下の黒い点は換気口だと思う。東京のものでは、明石小学校の写真で同じものが確認できた。

ちなみに、同時代の旧制中学校舎である麻布学園教室棟には、外見が似るが穴が貫通していないため機能性は無いものがある。


3階部分から一部分だけ上に飛び出している。ここが階段。ありがちな構造だろうが、東京の常盤小学校を思い出した。

いざ内部へ。
床は板張り。雰囲気は東京の復興小学校にまあ似ていると言って良いのでは。

しかし、見過ごせない大きな違いがある。教室内の柱の本数である。東京では教室の中間に2本の柱を入れる規格を作成してそれに基づいて建てたが、ここは1本である。東京が2本入れる理由は関東大震災を教訓とした耐震性への配慮であろう。
また、教室と廊下の間の窓の高さも違う。東京では外から覗けない高さまで壁を作り、その上に窓を設置した。しかし、ここでは窓が低く小学生でも覗き込める。この高さの意味については当時の教育思想が関係していたはずだが、本が手元にないので省略。
(「関東大震災と「復興小学校」学校建築にみる新教育思想」に書いてあったと思う。)




  階段。茶色の部分は人造石研ぎ出しというありがちな素材。










 壁と天井の接合部に「繰型」というものがある。ただのデザインだが、細部に一芸を光らせるのは良いこと。現代の学校には無い気がする。

全体の感想としては、カクカクした印象を受けたので、あまり好みではなかった。丸柱とかアーチ窓が好き。
(「カクカク」というのは東京の小学校規格検討の際に批判されたことの1つだったと思う)

ただ、部分的には良いものがあったし、東京と京都の比較が出来たので有意義だった。

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