2014年2月24日月曜日
京大受験 ~前日~
受験とはいえ久しぶりの遠出、行先は京都。
出願に迷うこともなかったので、かなり早くにみどりの窓口で新幹線の指定をとった。7号車1番E席だった。ラッキーセブンの「一番イイ席」である。明らかに受験生なので選んでくれたんだろうか、とも思った。
自宅から新幹線に乗るとなると品川が近いのだが、何となく東京から乗ろうと思った。無駄に早く着いたので駅舎を観察して遊んだ。
9時発ののぞみで出発。車内で勉強しようと思い世界史の一問一答を持ってきたのだが、景色に気を取られて(ちなみに富士山は見えなかった)恐ろしい程に捗らなかった。 ほぼ全問覚えていたのだが。
10:41、名 古 屋 到 着 、 下 車 。
^^;
京都に新幹線で行くなんて修学旅行でしかしたことがないので、 ここは普段通り在来線で行きたかった。慣れない行動での緊張は大敵。
しかし東京~名古屋は嫌というほど乗ったので、今回はその区間だけを新幹線ワープ。
名古屋駅の改札を出ると、凄く懐かしくなった。関東を除けば日本一使った駅だと思う。行先表示などを見てかつての旅行を思い出していたが、河合塾の広告が大量に目に入ってきた。リニューアルオープンらしい。この時期には勘弁してほしい。
きしめんを食べて快速大垣行に乗る。毎度おなじみの車両。この辺りから完全に旅行気分。車内では伊勢物語を読んでいたが、これは古文対策ではなくただの趣味。
大垣駅で20分くらい待ち時間があったので、人生で初めて大垣の改札を出る。MLながらで何度も使ったというのに、今までは全て素通り。駅前に松尾芭蕉の記念館への案内が有り、近かったら普通に行っただろうが遠かった。おばさんに署名を求められるがスルーして駅内へ。
大垣から米原行に乗る。関ヶ原駅に停車した時、若者の集団が「徳川家康って関ヶ原で勝ったの?負けたの?」と大きい声で話していた…。
米原からは、これまた毎度おなじみ新快速姫路行。いつもの事だが、オバサンたちの関西弁での騒ぎ声で西日本まで来たと実感。
そして京都駅到着。烏丸口に出ると案の定バスが大行列。よくもまあ並ぼうと思うものだ。さっさと七条駅まで歩く。
七条駅から京阪電車で出町柳駅へ。初めて来たが、予想より栄えていなかった。まあ、東京が栄え過ぎなのだろうが。ここからは人の波に乗って京大まで歩いた。百万遍から道を誤って北部構内に着いた。今考えると何故間違えたのか分からない。 ということで、京大本部構内への記念すべき第一歩は裏門からとなってしまった。
実は、これまで京大に来たことが無かった。高2の2学期までは受験を大して考えていなかったし、高2の冬休みに行こうとしたらノロウイルス的症状で行けなかったのである。
ここで時計台と御対面。実の所あまり好きで(ry
本部構内を抜けて吉田南へ。ここが受験会場であった。新しそうな建物なので一安心。センターを受けた東大医学部の古い講堂は、意匠こそ好きだが実に寒かった。
特にすることもないので正門の方に戻り、東山東一条に向かって歩く。途中で桜trickの立て看板に遭遇した。センター当日の朝も桜trickの話を知り合いにされた。縁があるのだろうか。
さっさと帰っても仕方ないと思ったので、神宮丸太町まで歩き、京阪で清水五条まで行き、そこから京都駅前のホテルまで歩いた。高層ビルがないので開放感がある。
夕食まで微妙に時間が有ったので伊勢物語を読んでいた気がする。とにかく、勉強がはかどることは無いと思った方が良いと思う。
夕食は七条烏丸の王将に行ったが、3席隣の相当に酔っぱらった老人が、ろれつが回っていないものの私を罵っているらしく、甚だ不快だった。そのせいで急いで食べたので気持ち悪くなった。
その後はホテルに戻ったが、勉強する気も起きず、買いこんだ中日新聞・岐阜新聞・京都新聞を読みとおし、更にNHKのニュースを見た。新聞でもテレビでもローカルニュースは面白かった。
風呂にもかなり長く入った(ユニットバスで浴槽に水を張った)せいで、数学を見直す時間が短すぎることに気付く。朝食が6時から、出発が7時半、試験が9時からなので5時半に起きるので7時間半前の10時に寝るつもりが、明らかに無理なので11時に寝ることに。
11時に寝ようとした。しかし寝れなかった。これは緊張というより、暑さと興奮、そしてチョコレートのせいだと思う。緊張を防ぐために意図的にテンションを上げていたのである。
寝れない…と思いのた打ち回り、時計を見ると1時だった。その後も殆ど寝られた気はしないのだが、 夢を見たので少しは寝たのだと思う。
(続)
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