無事、はやく寝つけて4時半に起きた。6時に朝食なので、それまでは過去問の英文を読んでいた。もう2度も和訳したので覚えているようなものだが。
昨日と同じように朝食、そして出発。この日のタクシーは渋滞を回避しようと昨日と別ルートを通ったので、ずっと景色を見ていた。同乗者は勉強していたが、よく酔わないものだ。
この日は体育会の方が声援のみならずハイタッチをしていた。この独特の熱気は気分が良くなる。
一科目目 英語 09:00~11:00
まず滑らないだろうと思った科目。
し か し
英作文が異常に難しく感じた。直前までろくに勉強していなかったのもあるが、後で学校の教員と話したところ、例年以上だと言っていた。
とりあえず書き切るのに40分使った。和訳に自信が有ったのでここまでゆっくり解けたが、そうで無かったら焦ったと思う。
対して和訳の方は拍子抜けで、40分で全て終わった。このため40分余ったので、英作文の修正に費やした。暗記例文集からコピペできそうな部分も有ったので、内容は割とずれるものの、表現としては問題の少ないものを書けた気がする。
昼休みは世界史の最後の見直しに費やした。軽めの一問一答を使っていたので全部覚えてしまい、気が楽だった。
その後、吉田南に戻ると「折田先生像」に例のクジャクが止まっていて写真を撮られていたが、クジャクが合格お守りを蹴り落とした。
二科目目 世界史 13:30~15:00
これも得意教科。
科挙の歴史についの300字論述が出たが、定番ネタな上に過去問に似ていると思ったので、これは書ける。
もう一問はドイツの戦後史をまとめる300字論述だったが、最初450字になり取捨選択作業がメインだった。
知識問題は中国の大運河の名前以外は合っていると思う。19世紀後半にエジプトで大規模栽培されていた農産物は何か、これは予備校の講評だと難問とされたが、ゲーム「victoria」プレイヤーとして当然の正答。(答:綿花)
これで全科目終了。これは受かったと思ったので、散歩して帰ることに。叡電で修学院まで行って、そこから出町柳まで歩いて帰ってきた。その後はさっさと新幹線で帰宅。
2014年2月26日水曜日
2014年2月25日火曜日
京大受験 ~1日目~
朝5時半に起きた。前日ろくに寝れなかったのでまずいことになっていると思いきや、快調である。
6時から朝食が始まった。普通の和食。親や友人との宿泊者が結構多かったが、全体的には静かな朝食。
7時半集合で、生協が手配したタクシーに知らない受験生3人と乗った。私は助手席。寺社の近くを何度も通るのでずっと景色を見ていたが、最後の方で同乗者がみな勉強していることに気付いた。酔いそう。
京大周辺はタクシーで大混雑。そのため近くまで行って途中で降りた。予備校関係者や体育会が大勢で応援に来ている。独特の熱気。どこぞの部から何となくもらったポケットティッシュに直筆メッセージが書かれていて地味に嬉しかった。
文学部の集合場所についた。待機する集団は実に文学部らしかった。男女問わずヲタ系が多い。同じ学校や予備校で集団を作っている人が多いが、こちらは一人で伊勢物語。
教員が出てきて「受験票を忘れた者は来なさい」とのこと。10人では済まない大人数が出てきた。忘れる人などいやしない、と思いきや。
整列が始まると「西に寄ってください」との指示。京都の人だから自然と方角を使いたがるのかもしれないが、受験生は混乱したよう。
ここで静寂を破り吉田寮生が出現。私は真っ先にパンフを貰いに行った。そして「問題が書いてあるかもしれないぞ~」「読むと受かるかも~」などとふざけだすと、結構の受験生が貰いに行っていた。面白かったが、受験の役には立たなかった。
さて、会場に入った。長机を1人または2人で使うので、誰でも通路に接する席ではあるし、空調も悪くは無かった。ただ、机の奥行きが学校や塾とは比べて非常に狭い。使える横の幅が大きいのであまり問題ではないが。
試験開始が近くなると、コートを含め全ての荷物を教室後ろの荷物置き場に移すように指示された。センターでは足元で良かったが、こちらは徹底。
一科目目 国語 09:00~11:00
センター同様に、待機時間はずっと作り笑いしていた。すると楽しくなってきた。
得意ではあるが、ここで大差をつけるつもりはないので普通に解く。古文はできたと思ったが、現代文は可もなく不可もなくというところ。本番で緊張することは無いと分かったことが一番の収穫。
国語終了後、昼休みとなった。ここで泣いている人は流石に居なかった。予約していた弁当を貰って、キャンパスを徘徊した後に時計台までいったら、すでに座れそうなところがほぼ埋まっていた。なんとか隙間を見つけて食べる。ここでも学校や予備校で固まっている人が多く、圧倒的アウェー。
その後も時計台付近に居たら、クジャクを連れている学生、お菓子を配るスパイダーマン、反原発の署名をする運動家などなど面白い人が沢山いた。
吉田南に戻ると、屋外で体育会の方が女子高生に声掛けして、出身高校などを聞いていた。相当の長話なのでナンパかと思ったら、その後は男含め一人でいる受験生何人にも声掛けしていたので、ただの優しい人だった模様。
集合時間が近いので会場に戻ったら、ほぼ全員がとっくに戻って勉強していた。
二科目目 数学 13:30~15:30
開始前に「みなさん妙に良い写真を受験票に使うので、たまに本人だと分からないことがあるんですよね」、と監督の教授。試験官はセンターに比べて和やかだったと思う。まあ、4月から自分が教える学生の選抜だから緊張する人が出て欲しくないのだろう。
私は極端な成績なので、例年通りの難易度であればこの科目で45点確保すれば受かりそうと言われていた。模試の数学は最後の京大実戦を除き悲惨だったが、直前には過去問や予想問題から考えるに60点は堅そうだったので気楽に受けられた。
第一問:
あれ?去年の問題と同じ発想で解けそう…あ、できた
(自信たっぷりで提出したが、予備校の解答と比べて(少なくとも見かけは)全然違ったので、得点開示待ち。)
第二問:
これは計算問題か…あれ、この定番の処理を度忘れ…いや、できるか
(一旦途中で放置した上にものすごく時間を食ったが完答)
第三問:
これは普通にやれば…計算間違えてるかもしれないけど時間ないな…
(時間の都合で見直ししないという賭けに出たが、合っていた)
第四問:
^^;
(一応書いたのだが、すごく怪しい内容だったと思うので期待していない)
第五問:
えっ
(瞬殺)
予想以上に出来たので、流石に受かったと思った。
試験後は京都御苑まで歩いて、その中を散歩していた。同じ考えの京大受験生は他にも何人かいたようだ。
その後も散歩していたせいで、ホテルに戻ったら夕食の時間となった。王将は昨日の件が有り行きたくないので、コンビニのおにぎりを食べた気がする。
ホテルで新聞を読んで、テレビで瓦職人の番組を見て、長く入浴したら、また大して時間が無くなった。昨日ほとんど寝れなかったことを考えて、世界史だけ見直して10時に寝た。英語は明日の朝だけで。
6時から朝食が始まった。普通の和食。親や友人との宿泊者が結構多かったが、全体的には静かな朝食。
7時半集合で、生協が手配したタクシーに知らない受験生3人と乗った。私は助手席。寺社の近くを何度も通るのでずっと景色を見ていたが、最後の方で同乗者がみな勉強していることに気付いた。酔いそう。
京大周辺はタクシーで大混雑。そのため近くまで行って途中で降りた。予備校関係者や体育会が大勢で応援に来ている。独特の熱気。どこぞの部から何となくもらったポケットティッシュに直筆メッセージが書かれていて地味に嬉しかった。
文学部の集合場所についた。待機する集団は実に文学部らしかった。男女問わずヲタ系が多い。同じ学校や予備校で集団を作っている人が多いが、こちらは一人で伊勢物語。
教員が出てきて「受験票を忘れた者は来なさい」とのこと。10人では済まない大人数が出てきた。忘れる人などいやしない、と思いきや。
整列が始まると「西に寄ってください」との指示。京都の人だから自然と方角を使いたがるのかもしれないが、受験生は混乱したよう。
ここで静寂を破り吉田寮生が出現。私は真っ先にパンフを貰いに行った。そして「問題が書いてあるかもしれないぞ~」「読むと受かるかも~」などとふざけだすと、結構の受験生が貰いに行っていた。面白かったが、受験の役には立たなかった。
さて、会場に入った。長机を1人または2人で使うので、誰でも通路に接する席ではあるし、空調も悪くは無かった。ただ、机の奥行きが学校や塾とは比べて非常に狭い。使える横の幅が大きいのであまり問題ではないが。
試験開始が近くなると、コートを含め全ての荷物を教室後ろの荷物置き場に移すように指示された。センターでは足元で良かったが、こちらは徹底。
一科目目 国語 09:00~11:00
センター同様に、待機時間はずっと作り笑いしていた。すると楽しくなってきた。
得意ではあるが、ここで大差をつけるつもりはないので普通に解く。古文はできたと思ったが、現代文は可もなく不可もなくというところ。本番で緊張することは無いと分かったことが一番の収穫。
国語終了後、昼休みとなった。ここで泣いている人は流石に居なかった。予約していた弁当を貰って、キャンパスを徘徊した後に時計台までいったら、すでに座れそうなところがほぼ埋まっていた。なんとか隙間を見つけて食べる。ここでも学校や予備校で固まっている人が多く、圧倒的アウェー。
その後も時計台付近に居たら、クジャクを連れている学生、お菓子を配るスパイダーマン、反原発の署名をする運動家などなど面白い人が沢山いた。
吉田南に戻ると、屋外で体育会の方が女子高生に声掛けして、出身高校などを聞いていた。相当の長話なのでナンパかと思ったら、その後は男含め一人でいる受験生何人にも声掛けしていたので、ただの優しい人だった模様。
集合時間が近いので会場に戻ったら、ほぼ全員がとっくに戻って勉強していた。
二科目目 数学 13:30~15:30
開始前に「みなさん妙に良い写真を受験票に使うので、たまに本人だと分からないことがあるんですよね」、と監督の教授。試験官はセンターに比べて和やかだったと思う。まあ、4月から自分が教える学生の選抜だから緊張する人が出て欲しくないのだろう。
私は極端な成績なので、例年通りの難易度であればこの科目で45点確保すれば受かりそうと言われていた。模試の数学は最後の京大実戦を除き悲惨だったが、直前には過去問や予想問題から考えるに60点は堅そうだったので気楽に受けられた。
第一問:
あれ?去年の問題と同じ発想で解けそう…あ、できた
(自信たっぷりで提出したが、予備校の解答と比べて(少なくとも見かけは)全然違ったので、得点開示待ち。)
第二問:
これは計算問題か…あれ、この定番の処理を度忘れ…いや、できるか
(一旦途中で放置した上にものすごく時間を食ったが完答)
第三問:
これは普通にやれば…計算間違えてるかもしれないけど時間ないな…
(時間の都合で見直ししないという賭けに出たが、合っていた)
第四問:
^^;
(一応書いたのだが、すごく怪しい内容だったと思うので期待していない)
第五問:
えっ
(瞬殺)
予想以上に出来たので、流石に受かったと思った。
試験後は京都御苑まで歩いて、その中を散歩していた。同じ考えの京大受験生は他にも何人かいたようだ。
その後も散歩していたせいで、ホテルに戻ったら夕食の時間となった。王将は昨日の件が有り行きたくないので、コンビニのおにぎりを食べた気がする。
ホテルで新聞を読んで、テレビで瓦職人の番組を見て、長く入浴したら、また大して時間が無くなった。昨日ほとんど寝れなかったことを考えて、世界史だけ見直して10時に寝た。英語は明日の朝だけで。
2014年2月24日月曜日
京大受験 ~前日~
受験とはいえ久しぶりの遠出、行先は京都。
出願に迷うこともなかったので、かなり早くにみどりの窓口で新幹線の指定をとった。7号車1番E席だった。ラッキーセブンの「一番イイ席」である。明らかに受験生なので選んでくれたんだろうか、とも思った。
自宅から新幹線に乗るとなると品川が近いのだが、何となく東京から乗ろうと思った。無駄に早く着いたので駅舎を観察して遊んだ。
9時発ののぞみで出発。車内で勉強しようと思い世界史の一問一答を持ってきたのだが、景色に気を取られて(ちなみに富士山は見えなかった)恐ろしい程に捗らなかった。 ほぼ全問覚えていたのだが。
10:41、名 古 屋 到 着 、 下 車 。
^^;
京都に新幹線で行くなんて修学旅行でしかしたことがないので、 ここは普段通り在来線で行きたかった。慣れない行動での緊張は大敵。
しかし東京~名古屋は嫌というほど乗ったので、今回はその区間だけを新幹線ワープ。
名古屋駅の改札を出ると、凄く懐かしくなった。関東を除けば日本一使った駅だと思う。行先表示などを見てかつての旅行を思い出していたが、河合塾の広告が大量に目に入ってきた。リニューアルオープンらしい。この時期には勘弁してほしい。
きしめんを食べて快速大垣行に乗る。毎度おなじみの車両。この辺りから完全に旅行気分。車内では伊勢物語を読んでいたが、これは古文対策ではなくただの趣味。
大垣駅で20分くらい待ち時間があったので、人生で初めて大垣の改札を出る。MLながらで何度も使ったというのに、今までは全て素通り。駅前に松尾芭蕉の記念館への案内が有り、近かったら普通に行っただろうが遠かった。おばさんに署名を求められるがスルーして駅内へ。
大垣から米原行に乗る。関ヶ原駅に停車した時、若者の集団が「徳川家康って関ヶ原で勝ったの?負けたの?」と大きい声で話していた…。
米原からは、これまた毎度おなじみ新快速姫路行。いつもの事だが、オバサンたちの関西弁での騒ぎ声で西日本まで来たと実感。
そして京都駅到着。烏丸口に出ると案の定バスが大行列。よくもまあ並ぼうと思うものだ。さっさと七条駅まで歩く。
七条駅から京阪電車で出町柳駅へ。初めて来たが、予想より栄えていなかった。まあ、東京が栄え過ぎなのだろうが。ここからは人の波に乗って京大まで歩いた。百万遍から道を誤って北部構内に着いた。今考えると何故間違えたのか分からない。 ということで、京大本部構内への記念すべき第一歩は裏門からとなってしまった。
実は、これまで京大に来たことが無かった。高2の2学期までは受験を大して考えていなかったし、高2の冬休みに行こうとしたらノロウイルス的症状で行けなかったのである。
ここで時計台と御対面。実の所あまり好きで(ry
本部構内を抜けて吉田南へ。ここが受験会場であった。新しそうな建物なので一安心。センターを受けた東大医学部の古い講堂は、意匠こそ好きだが実に寒かった。
特にすることもないので正門の方に戻り、東山東一条に向かって歩く。途中で桜trickの立て看板に遭遇した。センター当日の朝も桜trickの話を知り合いにされた。縁があるのだろうか。
さっさと帰っても仕方ないと思ったので、神宮丸太町まで歩き、京阪で清水五条まで行き、そこから京都駅前のホテルまで歩いた。高層ビルがないので開放感がある。
夕食まで微妙に時間が有ったので伊勢物語を読んでいた気がする。とにかく、勉強がはかどることは無いと思った方が良いと思う。
夕食は七条烏丸の王将に行ったが、3席隣の相当に酔っぱらった老人が、ろれつが回っていないものの私を罵っているらしく、甚だ不快だった。そのせいで急いで食べたので気持ち悪くなった。
その後はホテルに戻ったが、勉強する気も起きず、買いこんだ中日新聞・岐阜新聞・京都新聞を読みとおし、更にNHKのニュースを見た。新聞でもテレビでもローカルニュースは面白かった。
風呂にもかなり長く入った(ユニットバスで浴槽に水を張った)せいで、数学を見直す時間が短すぎることに気付く。朝食が6時から、出発が7時半、試験が9時からなので5時半に起きるので7時間半前の10時に寝るつもりが、明らかに無理なので11時に寝ることに。
11時に寝ようとした。しかし寝れなかった。これは緊張というより、暑さと興奮、そしてチョコレートのせいだと思う。緊張を防ぐために意図的にテンションを上げていたのである。
寝れない…と思いのた打ち回り、時計を見ると1時だった。その後も殆ど寝られた気はしないのだが、 夢を見たので少しは寝たのだと思う。
(続)
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